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己の余生がはじまる

TAKEHIKO YANASE

今日は定例をして、taneのなかなか進捗しない現状共有をし、馬喰町に移動し、昆布塩ラーメンを書き込み、10杯食べると1杯無料になるスタンプカードをテーブルに留守番させ、C社のフィロソフィーヒアリングをし、ドトールでコーヒーを買ってMTGに出ようとしたらビデオ会議禁止の張り紙を見つけ、コーヒーを持ったままアプリで解錠できる会議室スペースにてR大学のオンラインMTGをし、飯田橋へ移動し、まめくらしのえみりちゃんとご飯を食べ、帰路についている。今日の予定を打ち込むだけで200文字。文章が書けないということはありえないはずである。

えみりちゃんはgoogle docsで書いていた頃からこの日記をブックマークしてくれて、ほぼすべて読んでくれているらしい。そんな人他にいるのだろうか。それが事実であるとなると、ここ1年くらいの僕のことを一番知ってくれている存在かもしれない。彼女はどこかで仕事モードを演じてしまい、本当の自分と認識されている自分のイメージにギャップが生じ、それが少しストレスになっているそうだ。第一印象がいいというのも考えものだなあなどと感じたが、悪いよりはよっぽどいいだろう。それでももし、紫色の三角形のメガネなんかを常に書けていたら、「あ、この人はちょっとやばいな」という印象にもなって、明るい笑顔を相殺してくれるかもしれない。ファッションやら身だしなみやらはとても大事である。YOUの今年を助けてほしい、一緒に仕事したいと思ったが、うまくタイミングがあえばうれしい。いいイメージがあれば、だいたいいい現実が追いかけてくると思っているが、無理するのはあまりよくない。そういう瀬戸際のときに飛び込むか、様子を見るか。なんとも言葉にできないそういう局面の積み重ねで行き先はジリジリと大きく変わっていくものだ。人間は本来38歳くらいが寿命で身体が設計されていると自動的に流れてきたYouTubeで誰かが言っている。もうすぐ己の余生がはじまる。