Journal

自然に還していく時代を迎えるのか

TAKEHIKO YANASE

金曜日、友人に紹介を受けた不動産関連の会社の方から相談があった。小川町の山というか、雑木林の活用法についてだった。2000㎡ほどの面積を所有しているが、オーナーは西日本に住んでおり、活用することも管理することもできないので、誰かよいかたちで活用してくれる人がいれば貸したり、売ったりしたいということだった。

こういう困りごとの相談を受けることは仕事柄(?)楽しめる性分なので、「例えば、ここを所有したらどんなことができるだろう」とワクワクしながら聞いていた。一度現場を見に行きたいこと、借りたり買ったりした場合の金額感などをお聞きしつつ、打ち合わせは終了した。山を買う、森を所有する。なんともそのスケールの大きい文字列に胸トキメクが、現実的に突き詰めていくと結構難しいぞというのがすぐにわかってきた。お金は一旦置いておいたとして、自分が所有したとしたら何をするだろう。チェーンソー講習に通って、ストリートビューから見るに鬱蒼とした暗闇の森に光を挿す技能を習得するかもしれない。車で数分の距離を通って、木を切り、木を運び出し(あれ、どうやって運び出すのか)、虫に刺され、暑い夏は森から足が遠のく。なんだかうまくいくイメージがパッと沸かない。一人では限界がある。どういう座組で所有すればよいのだろう。森はやせ細った線香林で、木々に材木などになる価値はなさそうだ。市街化調整区域なので建物を建てることもできない。固定資産税がボディブローのように効いてくる。イベント的に仲間内で森の手入れをするのは楽しそうだが、「今日はありがとう。お礼の丸太です」なんて言ってお土産を渡すこともできないのは、農地との違いでもある。コミュニティで所有して、みんなの遊び場的な場所にするのはどうか。しかし、それをマネジメントする人は必要だし、管理は専門家の力が不可欠だろう。無理に何かの場所にせずに、自然に還していくのがいいような気もする。世の中、企画が多すぎるきらいもある。

こういうことはこれから日本中で急増するのだろう。広大な面積の山林が一ヶ月の給料で買えるほどの値がつき、ネット上で売られている時代だ。自然が資源の生産地として塗り替えられた20世紀を超えて、自然に還していく時代を迎えるのか、はたまたテクノロジーと制度改革により、人が自然を管理し続けるのか。小川町でこれからやろうと考えている取り組みについて考えるとき、避けては通れない題材になりそうである。(興味がある方がいらっしゃればお声がけください)