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ちゃんとやってよ

TAKEHIKO YANASE

今日はとあるブランディングプロジェクトのキックオフがあった。ブランディングという言葉の定義はたくさん存在すると思うが、愛と尊敬と感謝というのが自分の中でしっくりきている。ブランディングのはじめは理念をつくることが多い。そもそも何のためにこの会社は存在し、何に向かっていくのか。ミッション、ビジョン、バリューなどとも構造化され、これまでもたくさん書かせてもらってきた。時には経営者とがっぷり四つ。時には若手社員たちと社長にプレゼン。ときには全社員でワークショップ合宿など、その作り方はさまざま。人が変わるときは、理想を強く思い浮かべ、現実の自分の方が違和感があるような状態になったときに、人は変わり始めるという(それ以外もありそうだが)。つまり自分をどう定義するか。会社も人の集合体なので、根本的な原理は同じだと思う。この会社は一体何なのか。そんな共同幻想がその会社の理想像を現実化させていくのだと思う。なので、まだ見ぬ理想像や未来を言葉や絵にして共有することは非常に重要であり、他の動物にはできない人間の最も重要な技能なのだと思う。
理念を言葉にするときは短いものが好まれる。それはコピーライティングの鉄則でもあり、人間の脳みその限界でもある。長々した文章は覚えられないし、染み込まなくては行動を変容しない。しかし短いと、それは抽象的になる。なんとなくわかるが、なんとなくわからないというものにもなり得る。同じ言葉から、感じ取る情報の量は、その人の経験や思考に比例して、思いの外差分があるものだ。例えば、「自然資源」と聞いて理解できる人できない人、絵が浮かぶ人浮かばない人、それについて自分の想いを語れる人語れない人が存在するように。短い文章は対象への興味の入口としての機能を担うか、膨大なの具体的な事象の象徴を担うかなのではないかと思う。そういった意味で、入口をつくるキャッチコピーは有効だ。いきなり本文が書かれた本があっても読み進めることはできず、タイトルや目次があって事前に中身を把握できるからこそ、ページを捲る手は動き始める。一方で、端的に表現された理念の裏にはたくさんの具体が共有されていて欲しい。理念だけを掲げてもすべてを共有することは難しい。理念を掲げつつ、具体的な体験を一緒に積み重ねる。そうすると、理念の言葉が育ってくる。理念に即した具体的な行動に取り組む仕組みやアクションをセットで提案していくのがブランディングプロジェクトを設計する上で大切なことなのかもしれない。

引退したイチローが3日間高校球児と練習をともにした。最後の挨拶は「ちゃんとやってよ」と端的に締めくくられた。その一言から、一生球児たちはあの充実した3日間を鮮明に思い出すに違いない。