自分が80年前のことを覚えていられる
夏はいつからこんなに暑くなったのだろう。平成初期の校庭で僕は毎日のようにボールを追いかけていたが、近所の小学校の校庭に人影すらない。
妻は北国出身で、夏は娘とともに長期で帰省する。去年までは僕も一部の期間合流し、家族揃って冷涼な気候で過ごしていたが、今年は留守番。とはいっても、網走や鹿児島への出張、都内での打ち合わせなどの予定がテトリスの後半戦のスピードでカレンダーにピタッと埋め尽くされ、どうにも身動きが取れなくなってしまったのが実際のところだ。
3週間の一人暮らし、保育園の送迎もない。朝早く起床し、まだ空が明るくなる前にジムで汗を流し、みんなが仕事を始める頃には、メインの作業を終え、夕方には仕事を終え、夜はゆっくりアクアパッツァなどを調理し、ナチュールワインを嗜む。なんていうイメージはなかなか現実にはならない。なぜだろうか。一つは多様なチームで動いていること。自分の都合ですべてを決めることはできない。もう一つは、集中力と体力の問題だ。自分の思ったように自分の身体と頭を動かすというのは簡単ではない。それでも毎日毎日、コツコツと、プロジェクトは進んでいる。ロサンゼルスアパレルのTシャツ、パタゴニアのバギーズ、ゼロシューズのジェネシスという最低限な服で、毎日働いている。
仕事の合間、小川町図書館の戦争展を見に行った。今年は戦争から80年。戦争を体験した人は今の80代以上であり、記憶があるのはおよそ85歳以上、成人として体験した人はもうかなり少ない。その人がそこで体験したもの、目撃したもの、聞こえた音、感じた匂い。それは100%の記憶としてあったはずだが、時とともに忘れていく。昨日の朝ご飯も、小学校の先生の名前もパッと思い出せない自分が80年前のことを覚えていられるワケがない(それでも小学校の親友の家の電話番号は空で言えるのは脳の不思議だ)。忘れてはいけないものも、忘れてしまう。だからこそ記録をする。文字で音声で、写真で映像で。100%を記録することなどはできない。切り取らざるを得ない時点で、どこかに誰かの編集が入る。ドキュメンタリーとしての編集。自分は2025年の夏をどう残そう。80年前に亡くなった人たちに思いを馳せ、今日の青い空に感謝して、残すべき日々を生きるという恩返しをしてみたい。
